源氏物語第10帖「賢木」。
藤壺に冷たくされた源氏は、
二条の邸にこもったまま、
宮中にも東宮御所にも参内しません。
藤壺はいつもと違う源氏の態度に、
出家でもされてしまったら、
東宮のためにも困ったことになると、
不安でならないのです。
いつか嫌な噂もたち、
弘徽殿の皇太后から、
自分だけではなく東宮も、
辱めをうけることになるかもしれないと思い、
自分が出家して東宮を守らなければと、
とっさに大変な決心をしてしまったのです。
桐壺院の一周忌の法事の時期になり、
藤壺は一周忌の後の追善供養の法会で、
突然の出家を発表しました。
追善供養とは生きている人が、
亡くなった人に対して行う供養のことです。
故人の命日に法事を行い、
冥福を祈って供養することをいいます。
追善という文字が表すように、
生きている人が行う善行をもって、
亡くなった人の善行になり、
それがまた自分に戻ってくるという考え方です。
追善供養とは広い意味では毎日の供養のことで、
狭い意味では年回忌の法要をいいます。
藤壺の出家の発表に、
誰もが驚きどよめきました。
兄の兵部卿宮は思い返すようにと、
説得しているのですが藤壺の決心はかたく、
法要が終わるころ出家の式が行われました。
藤壺は髪をおろして尼僧となってしまったのです。
邸内のあちらこちらから、
すすり泣きが聞こえます。
髪をおろすということは、
お坊さんのようにつるつるになるのではなく、
尼そぎといい髪を首か肩のあたりで切りそろえることをいいます。
そんなに髪があるならいいじゃないと思いますが、
当時の貴族の女性は髪が長ければ長いほど高貴で、
その髪も美しさのひとつとされていたので、
それを切りおろすということは、
誰しもが大きなショックをうけることになったんですね。
源氏はどうしたらよいのか、
わからないほど悲しくてたまらないのですが、
あまり悲しんでいたら、
人々にあやしまれるかもしれないと、
じっとこらえているのでした。
次回に続きます。
2018年01月09日
源氏物語について その二十九
posted by コポ at 21:12| Comment(0)
| 源氏物語
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