2018年12月13日

源氏物語についてその三十九

源氏物語第12帖「須磨(すま)」。

久々の源氏です。
あまり須磨。明石の帖は好きではないのですが、
この条を飛ばすとこの後が、
つながらなくなってしまうので、
さらぁっと書きます。

この「須磨」から源氏物語は第一部後半に入ります。
これまで登場した主要人物の中で、
源氏の母桐壺の更衣と、
父である桐壺院、
正妻である葵の上、
第4帖の夕顔、
が亡くなっています。

この帖は源氏が26才春から、
27才春までの一年間の話です。

舞台は都から須磨に代わります。
源氏の異母兄が朱雀帝となりました。
朱雀帝は心優しい性格で、
源氏を頼りにしているところもありましたが、
朱雀帝の母弘徽殿太后は、
源氏を憎んでいました。
それというのも弘徽殿太后の妹朧月夜は、
朱雀帝がもっとも愛した女性で、
いずれは女御として入内させる予定だったのに、
源氏と恋愛関係になってしまったため、
女御として入内させることを、
遠慮しなければならなくなったのです。
そのため尚侍として入内しました。
女御と尚侍では身分の差が大きいので、
女御として入内すれば将来は、
中宮・皇后になる可能性は十分ありましたが、
尚侍では絶望的だったのです。
それがもっとも大きな原因で、
弘徽殿太后は源氏をとても憎んでいたのです。

源氏は東宮を帝位につけるため、
謀反を企んでいるということにされ、
官位を取り上げられ、
流罪が決定したという噂がたっていました。
源氏はいまさら無実の罪の言い訳をしても、
聞き入れられることもないのならと、
自ら都を離れることにしたのです。

この時代の政治は律令制度でした。
律とは刑法のことで、
一番重い罰は死刑でした。
ですが、平安時代にはほとんど死刑は行われてなく、
次に重いのが流罪だったそうです。
この時代一度流罪になった者は、
二度と政治の表舞台に立つことができないのです。
そのため源氏は自ら先手を打って、
須磨に去って謹慎したのです。
そうすることでそれ以上は手が出せない、
ということと「反省していますよ」、
という意を示したことになったのでしょう。
次回に続きます。
posted by コポ at 21:40| Comment(0) | 日記
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