源氏物語第12帖「須磨(すま)」。
久々の源氏です。
あまり須磨。明石の帖は好きではないのですが、
この条を飛ばすとこの後が、
つながらなくなってしまうので、
さらぁっと書きます。
この「須磨」から源氏物語は第一部後半に入ります。
これまで登場した主要人物の中で、
源氏の母桐壺の更衣と、
父である桐壺院、
正妻である葵の上、
第4帖の夕顔、
が亡くなっています。
この帖は源氏が26才春から、
27才春までの一年間の話です。
舞台は都から須磨に代わります。
源氏の異母兄が朱雀帝となりました。
朱雀帝は心優しい性格で、
源氏を頼りにしているところもありましたが、
朱雀帝の母弘徽殿太后は、
源氏を憎んでいました。
それというのも弘徽殿太后の妹朧月夜は、
朱雀帝がもっとも愛した女性で、
いずれは女御として入内させる予定だったのに、
源氏と恋愛関係になってしまったため、
女御として入内させることを、
遠慮しなければならなくなったのです。
そのため尚侍として入内しました。
女御と尚侍では身分の差が大きいので、
女御として入内すれば将来は、
中宮・皇后になる可能性は十分ありましたが、
尚侍では絶望的だったのです。
それがもっとも大きな原因で、
弘徽殿太后は源氏をとても憎んでいたのです。
源氏は東宮を帝位につけるため、
謀反を企んでいるということにされ、
官位を取り上げられ、
流罪が決定したという噂がたっていました。
源氏はいまさら無実の罪の言い訳をしても、
聞き入れられることもないのならと、
自ら都を離れることにしたのです。
この時代の政治は律令制度でした。
律とは刑法のことで、
一番重い罰は死刑でした。
ですが、平安時代にはほとんど死刑は行われてなく、
次に重いのが流罪だったそうです。
この時代一度流罪になった者は、
二度と政治の表舞台に立つことができないのです。
そのため源氏は自ら先手を打って、
須磨に去って謹慎したのです。
そうすることでそれ以上は手が出せない、
ということと「反省していますよ」、
という意を示したことになったのでしょう。
次回に続きます。
2018年12月13日
源氏物語についてその三十九
posted by コポ at 21:40| Comment(0)
| 日記
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