源氏物語第12帖「須磨」。
ここから舞台は京を出て、
須磨へと移ります。
京からは1日で到着する距離ですが、
その当時の須磨は侘しいところでした。
作者の紫式部がなぜ「須磨」を、
源氏の謹慎先に選んだのでしょう。
それは史実上の先例があったからだそうです。
伊勢物語の主人公として有名な在原業平の、
兄の在原行平が須磨に流されていたときに、
古今和歌集の中に行平の詠んだ歌で、
「わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶと答えへよ」、
(たまたま私がどうしているかと、
尋ねる人がいたなら、
須磨の浦で藻塩に含ませた、
水が滴り落ちるように、
涙を流しながら侘しい暮らしをしていると答えて)、
という歌があります。
源氏物語が書かれていた当時は、
古今和歌集はとても身近な存在だったため、
読者にしてみれば、
「ああ須磨。侘しいところね」、
とすぐ理解してくれたのでしょう。
このように史実がたびたび物語の中に出てきます。
紫式部はその当時の流行に敏感で、
読者の心をつかみ、
物語の中に引き込む天才なんですね。
次回に続きます。
2019年10月01日
源氏物語について その四十四
posted by コポ at 21:15| Comment(0)
| 日記
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