2017年12月13日

おかげさまをもちまして

当塾は12月9日で、10年目を迎えることができました。
これもひとえに皆様のおかげと、
深く感謝しております。
これからも「初心を忘れず」の気持ちで
進んでまいりたいと思いますので
よろしくお願いいたします。
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2017年12月05日

源氏物語について その二十八

源氏物語第10帖「賢木」。

夕方になり藤壺の容体が落ち着き、
休んでいると塗籠の中から、
こっそりと出てきた源氏が、
藤壺の背後にまわりました。

藤壺はまだ胸が苦しく、
「このまま死んでしまうのかしら」
とため息をついています。
その横顔がなまめかしく、
弱弱しく沈んでいる様子が、
いたわしくてならず、
源氏はたまらなくなり、
藤壺の裾をそっと引っ張りました。
その拍子に源氏の匂いがさっとたちこめ、
藤壺は思いがけないことに、
そのまま突っ伏しでしまったのです。
着物を脱ぎすててでも、
逃げようとしたのですが、
長い黒髪が着物と一緒に、
源氏の手に握られているのです。
源氏は興奮して気が狂ったようになり、
泣きながら自分の恋を訴えるのですが、
藤壺は、

「本当に具合が悪いので今夜は帰ってほしい。
もう何も言わないで」

と相手にしません。

また夜が明け切ってしまい、

「このままでは大変なことになります。
どうか早く引き取ってください」

と王命婦と弁がお願いしました。

源氏はこんな恥ずかしい目にあいながらも、
まだ生きているのかと藤壺に思われるのもつらいので、

「このまま死んじゃおうかなとも思うのですが、
死んでも死にきれないでしょう」

などと藤壺に言い、二条の邸に戻りました。

源氏は藤壺の冷たさを恨めしく思い、
今度は手紙もぷっつり出さなくなり、
宮中にも東宮御所にも参内しなくなったのです。

次回に続きます。
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2017年12月01日

源氏物語について その二十七

源氏物語第10帖「賢木」。

源氏は藤壺への憧れがますます募っているのですが、
源氏を寄せ付けない藤壺の冷淡さが、
恨めしくてならないのです。

藤壺のほうは桐壺院が亡くなり、
息子である東宮の後見は源氏しかいないと、
頼りにしたいと思っているのですが、
源氏がまだ藤壺をあきらめていないので、
怖くてならないのです。
もし源氏との秘密が、
右大臣や弘徽殿皇太后などに知られたら、
東宮はどうなってしまうのか、
とこわくてならないのです。
なので寄せ付けないようにしていたのに、
どうやって来たのか、
藤壺のそばまで忍び込んできたのです。

源氏からとても苦しい恋心を、
訴え続けられた藤壺は、
胸が苦しくなり、
息をすることもできず、
今にも死にそうなのです。
女房の王命婦や弁は夢中で介抱をしています。
源氏は藤壺が死にそうなのに、
どうしたらよいのかもわからず、
ただおろおろするばかりで、
夜が明けたのに、
部屋から出ていくことも忘れています。
病気に驚き、
他の女房たちもしきりに出入りするようになったので、
王命婦が源氏を、
塗籠の中に押しこんでしまいました。

塗籠(ぬりごめ)とは、
周囲を厚く壁で塗りこめた部屋のことで、
現代の納戸や押入れのような役割をしたそうです。

ただ事ではない藤壺の様子に、
兄の兵部卿宮や中宮大夫がかけつけました。

兵部卿宮(ひょうぶきょうのみや)とは、
この物語に登場する本名のわからない、
架空の皇子の便宜上の名前のことです。
この帖では藤壺の兄であり若紫の父にあたります。

中宮大夫(ちゅうぐうのだいぶ)とは、
中宮に関する事務を司る役所の長官のことです。

次回に続きます。
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2017年11月26日

とても長く感じる一日でした

今朝、おばあちゃんが4時頃倒れました。

トイレを済ませ、部屋に戻る時に、
おばあちゃんの足音とは思えない、
大きな音がばたばたとしました。
夫が先に気付き、急いで行ってみると、
廊下を歩いている間に崩れるように倒れ、
声をかけても返事をしなくなり、
見る見るうちに手や足が冷たくなったのです。
急いで救急車を呼び、
私が付き添い、夫は我が家の車で後に続きました。
救急隊の方が声をかけても、返事が聞こえないので、
どんな状態なのかわからず、焦るばかりでした。
救急車を降りる時、隊員の方に、
「意識はあるんですか?」
と聞くと、
「声をかけるとうなずいていますよ」
と言われ少しだけ安心したのですが、
低酸素状態になっていたらしく、
いつもの数値の半分以下だったそうです。

なぜ突然こんなことになったのか、
在宅酸素は医師から言われている、
要領でやっているのに、
心臓が突然悪化したのか、
と、頭の中でたくさんのことを考えました。

病院で診察してもらってから、約5時間が過ぎた頃、
原因がわかりました。
一週間前に転んだ時に、肋骨を2本折っていたそうで、
そこから出血していたのが胸に溜まり、
肺を圧迫したため、
呼吸できない状態になっていたそうです。
在宅酸素をしていても、
それでは足りないぐらいに、
圧迫されていたようです。
安心できる状態になるまでは、
しばらくかかるそうで、
私たちも入院したとはいえ、
まだまだ気が抜けません。
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2017年11月22日

ご迷惑ご心配をおかけしました

おばあちゃんが2日前に転びました。

どのようにして転んだのか、
おばあちゃん本人も覚えていないらしく、
額に大きなこぶができました。

両ひざも黒くなり、
ところどころに傷もありました。
訪問看護の方に見ていただくと、
「頭を打っているから病院で診てもらったほうが安心だよ」
とのことだったので、
それから病院に行ってきました。

CTの検査結果は、頭の中には出血もなく、
異状なしとのことでした。
次の日は心臓の病気を持っているので、
そちらも検査しましたが、
「大きな変化はありません」
と言われ安心して帰ってきました。

お休みさせていただいた生徒さん方には、
ご迷惑とご心配をおかけしました。
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2017年11月09日

踏んだり蹴ったりです

つい2〜3日前のことです。
仕事が終わり食事をして家に帰るとき、
車に乗ろうとしたら、
タイヤがパンクしていました。
以前のブログで書いていますが、
自宅前で後ろから追突され、
車は元通りにならないといわれ、
結局新しい車を購入せざるを得ない状態になりました。
その車が我が家に来るまでは、
代車ということで、
レンタカーに乗っているのですが、
そのレンタカーのタイヤがパンクしたのです。
次の日、損保会社から電話があり、

「レッカー移動をして工場に運びます。
修理できない場合は新しいタイヤに交換しますが、
お客様負担になります」

と言われ、
「はぁ」
と返事はしたものの、
「なんで?ぶつけられて乗る車がないから、
仕方なく代車に乗っているのに」
と納得いかなくなってきたのです。

そしてその日のうちに、
代車は戻ってきましたが、
「やはりパンクでした」
と請求書を渡されました。
う〜ん・・・納得できん。
それにしても今年は、
車がらみの災難が多い年でした。
もうなにも起きなきゃいいけど、
と不安を感じています。
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2017年11月06日

源氏物語について その二十六

源氏物語第10帖「賢木」。

源氏のことをいつも思い、
悲しい気持ちになっていた朧月夜ですが、
源氏とはこっそり手紙のやりとりをしていました。

源氏は
「こんなことがばれたらたいへんだ」
と思いながらも以前よりも、
恋の思いが募っているのです。

朧月夜は尚侍になり、
帝の寵愛をうけています。
源氏はそんな女性とのことがもし帝や、
弘徽殿皇太后などに知れてしまったら、
とんでもないことになるとわかっているのに、
困難が大きいほど燃えてしまうという、
源氏の悪い癖がでてしまったのです。

今の帝の母は弘徽殿皇太后で、
右大臣は祖父にあたります。
当然この右大臣側が、
政治の権力を握っています。

帝はまだ若くて気が弱く、
優しい性格をしていました。
はっきりと物事が言えないので、
母の弘徽殿皇太后や祖父の右大臣に、
言い負かされ、政治も帝の思い通りになりませんでした。

弘徽殿皇太后は桐壺院が生きていたころ、
藤壺や源氏が大事にされていたことを、
面白く思っていませんでした。
いつか復讐してやりたいと思っていたので、
源氏や左大臣につらくあたるのです。

そんな状況の中でも、
源氏と朧月夜は、
女官たちが使う狭い部屋に忍び込んで、
あわただしい密会を遂げているのでした。
情熱的な朧月夜は、
源氏とたまにしか逢えないことが、
かえって恋の炎を燃え盛らせています。
源氏もそんな朧月夜が、
帝の寵愛をうけるのも、
もっともだと逢う度に思うのでした。

次回に続きます。
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2017年11月03日

今年は川渡温泉でしたA

感覚ミュージアムには約10分で到着。
感覚ミュージアムとは、
「視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚」
といった五感をテーマとするミュージアムだそうです。

係の方にガイドをしてもらいながら、
団体で移動しました。

「闇の森」という部屋は、
薄暗い中を壁づたいに歩くのですが、
その壁のところどころに穴があり、
その中にあるものを手探りで何なのか見るのです。
左右の手があったり、
昔の黒電話や、キーボードなどがありました。

鏡の部屋では、
私は見えないのでなにも感じませんでしたが、
体調をくずす人もいるそうで、
何人かの人たちが
「なんだかおかしいな」
と言っていました。
その他にも水の部屋や香りの部屋を見て、
次の行き先である「旅館ゆさ」へ。

旅館ゆさでは昼食をとりました。
昼食は「しみっぱなし丼」と、
旅館ゆさの手打ちそばでした。
「しみっぱなし丼」とは、
名物のしみ豆腐を、
かつ丼のように卵でとぢた丼です。
しっかりとした歯ごたえのあるしみ豆腐で、
食べ応えがありとてもおいしかったです。
そばはその日が寒いということで、
あたたかいそばでしたが、
こちらもおいしい。
今度は冷たいそばでも食べてみたいです。
食事が終わり温泉に入る人や、
食後の休憩をする人など様々。
帰り先である多賀城へとバスは出発しました。
みなさんお疲れさまでした。

雨が降りつづく中、
バスの運転をしてくれた夫は、
とても疲れたことでしょう。
「ありがとう。お疲れさま」
と心の中で感謝して今年の研修旅行は終了しました。
posted by コポ at 21:48| Comment(0) | 日記

2017年11月01日

今年は川渡温泉でした@

毎年恒例になっている視覚障碍者団体の、
日帰り研修バス旅行に行ってきました。
今年の参加者は14名とちょっとさみしい人数でした。
いつも参加されているおしゃべりがおもしろく、
楽しいおじいちゃんたちは、
「寒くなると体調がすぐれないので」
とのことでお休みでした。
私と同年齢のひきちさん親子は、
お母さんが家の中で転んで、
腰の骨を折り入院しているとのことでした。
本当に他人事ではありません。
おばあちゃんも何度か転んで、
腰の骨を折っています。
いまだに腰が痛いと言っていて、
とても辛そうな時もあったので、
ひきちさんのお母さんが心配です。
何か手伝えることがあればいいのにと思います。
そしてなによりも今回の研修旅行を楽しみにしていた、
亡くなってしまった星さんの欠席。
とても残念でなりません。
この日は星さんを偲ぶように、
涙雨が降りつづきました。

私たちは3名で参加しました。
夫がバスを運転してくれたので、
実家の母が私の介助者になってくれました。

研修旅行の行程は、
まずはじめは、岩出山にある「あ・ら伊達な道の駅」へ。
9時40分くらいに到着したのですが、
すでに満車に近い状態でした。
「こんなに早い時間でも混むねぇ」
と言いながらバスを降りました。
あとで聞いた話によると、
宿泊施設に宿泊したお客さんたちが、
朝早めにチェックアウトをして、
この道の駅に寄るそうです。
お昼時間になると駐車場に入れず、
渋滞するそうなので、この時間に行ったのは正解でした。

この道の駅では、
岩出山名物のかりんとうが一斗缶で売られています。
それから、ロイズのチョコレートもあるのですが、
かなり混みあっていたのでやめました。

私と母が引き寄せられるように向かったお店は、
じゃこ天屋さんでした。
じゃこ天とは愛媛県南予地方の、
海岸部で作られる特産品だそうです。
さつま揚げのような食べ物ですが、
原料が小魚だそうです。
試食をしてみて即購入。
次に向かったのが甘栗屋さん。
天津甘栗とは違い、
粒がとても大きいんです。
家に帰ってから夫とおばあちゃんに、
むいて出してみたら、
「すごくおいしい」と言ってました。
買ってよかったわーい(嬉しい顔)
なんだかこの二か所で疲れてしまい、
もうバスに戻ろうということになりました。
他の人たちも次々とバスに戻り、
次の行き先である「感覚ミュージアム」と出発したのです。

次回に続きます。
posted by コポ at 21:38| Comment(0) | 日記

2017年10月30日

源氏物語について その二十五

源氏物語第10帖「賢木」。

桐壺院が亡くなり、
次の帝は桐壺院と、
弘徽殿太后との間の子である、
朱雀帝に決まっていたので、
当然政治の権力も、
左大臣側(源氏や藤壺)から、
名実ともに右大臣一派へと移っていきました。
源氏側の人々は、
人事面でも昇進しないなど、
不遇の時代になっていくのです。

以前のブログの中に登場した朧月夜の君は、
弘徽殿太后の妹で、
右大臣からすると6番目の娘です。
朧月夜の君は宮中にあがっていて、
尚侍(ないしのかみ)になりました。

尚侍とは天皇のそば近く仕え、
帝の言葉を伝達したり、
臣下の言葉を帝に伝える仕事をした、
内侍司(ないしのつかさ)の長官のことです。
この時代には女御・更衣に準ずる立場で、
帝の寵愛を受けた者もあり、
朧月夜の尚侍就任も、
そのような史実によるものだそうです。

朧月夜の君は人柄が素直で明るく、
女御・更衣がたくさんいる後宮でも、
帝から格別な寵愛を受けていました。

後宮とは皇后以下の天皇の后たちを照合していう言葉。
または后たちの住む御殿をいうそうです。

弘徽殿太后が実家に帰ることが多いので、
朧月夜の君を弘徽殿に住まわせていました。
弘徽殿は清涼殿(内裏の主要な宮殿の一つで、
帝の日常の住まい)に近く、
晴れ晴れして明るいので、
朧月夜の君も派手に陽気にしていました。
ですが、内心は源氏のことが忘れられず、
いつも悲しい思いをしていました。

次回に続きます。
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